あなたには、忘れられない過去はありますか?
楽しかった思い出や、苦い思い出もあるでしょう。
その過去の積み重ねが、きっと今のあなたを作っているのでしょう。
でも、過去にとらわれてしまっていたら、それはきっと不幸なことですよね。
過去の網にとらわれた誰かに、それぞれがそっと手を貸す、そんな物語。
おすすめ度
★★★★☆(4.5)
痛みを伴う真実も受け止めて、誰かとのつながりを大切に生きていくあなたに。
好きそうな人・苦手そうな人
・青春小説が好きな人
・新しいアイデアの小説が好きな人
・軽妙な文章が好きな人
・設定や描写よりもストーリーを楽しみたい人
・軽い文章が苦手な人
・ファンタジー要素が苦手な人
あらすじ
自殺、他殺、事故死など、寿命以外の“死”が見える志緒。彼女が悲しまぬよう、そんな死を回避させるのが僕の役目だった。
ある日、志緒は秀桜高校文芸部の卒業生4人を無人島に招待、安全なクローズド・サークルをつくった。
だが、そこに高校時代の墜死事件が影を投げかけ、一人、また一人と――これは、二人にしかできない優しい世界の救い方。
(本書裏表紙より抜粋)(記事作成者による改行あり)
作品情報
作者:井上 悠宇
ページ数:262ページ
ジャンル:ミステリ
出版社:ハヤカワ文庫
紹介・感想
紹介
貧乏大学生の主人公・佐藤と、死の予兆が見えるヒロイン・遠見志緒の人の死を防ぐ物語です。
題名の通り、事件や事故などの危険を回避し、いかに「誰も死なないミステリ」にするか。
事件の発生を予見してから、発生させずに終わらせることが目的です。
言い方を変えれば、死亡フラグを折る物語です。
遠見志緒は「死線」と呼ばれる「寿命以外の死の予兆」を視認することができます。
最初は目の上の一本線から始まり、死が近づくにつれて本数が増加。
最終的にはモザイク状に顔全体を覆いつくし、顔が見えないレベルまで増加します。
2人が死線を消していく中で、ある日4人同時に死線が発生するのを目撃し……というあらすじ。
アガサ・クリスティーの「そして誰もいなくなった」に強く影響を受けている印象です。
ところどころにオマージュがあります。
文体が軽く読みやすいため、読書に慣れない方にもオススメです。
感想
個人的には非常に好みの小説でした。
多少のご都合主義というか、やりすぎ感・詰め込みすぎな感じは、正直あります。
ですが、よくまとまっていてキレイな流れで最後まで続いていると思います。
私が感じる本作の魅力は2つあります。
1つは斬新な設定と、状況設定の上手さ。
2つ目は縁の描き方、張り巡らされた伏線とその回収です。
探偵のいらない物語
1つ目に斬新な設定と、状況設定の上手さがあります。
まず、この物語に探偵の出番はありません。
探偵や刑事もののミステリーでは、テロを防ぐことを目的にするものもあります。
ですが、被害がゼロの状態でそれを実現させることはありません。
当然ながら1回目があって、2回目を防ごう、となるからです。
本作では「死線」を前提として、「誰も死なない」犠牲者ゼロを目指します。
また、誰も死なせないために「守りのクローズドサークル」を作ります。

「絶対安全な場所で籠城してしまえ」という発想はあまりないですね。
もちろんそれだけでは終わらず、籠城したことで逆に死線が進行します。
つまり、殺人犯(予定)が中に紛れ込んでいるわけですね。
しかも、助けるはずの4人全員に死線が出ていて犯人が特定できない。
作中でも触れられますが、本来ヒロインの能力はチート級の強さを誇ります。
通常であれば、殺人犯(予定)には死線が現れないため、初めから犯人を特定可能です。
しかし、犯人を含めた守る対象全員が被害者(予定)となります。
能力を活かせないような状況が起こり、しっかりと緊張状態が続きます。
ただ、「死線」という超能力が前提となるため、そこを納得できるかで好みは分かれそうです。
つながれた縁で、その先に
本作は人物に関する伏線が多く、最後まで回収が続きます。
1つ例として分かりやすいのは、主人公とヒロインの出会いです。
主人公・佐藤とヒロイン・志緒が出会ったのは、佐藤の通っていた高校の屋上です。
当時、佐藤は父親が公金を横領したことで、いじめを受けていました。
これは教師も含めた、ほぼ学校全体からのものです。
そこで、昼休みは毎日学校の屋上で、1人過ごしていました。
そんなある日、突然屋上に志緒が入ってきて、フェンスを登り始めます。
佐藤はそれを「飛び降りないでくれ」と言って止めます。
屋上は彼の唯一の居場所で、彼女が飛び降りれば入れなくなってしまうから。
実際は彼女も死ぬ気はなく、自殺した友人の気持ちを知るための行動でした。
そこで、彼女の事情と死の予兆が見えることを聞いた佐藤は、「誰も死なないミステリー」を作ろう、と彼女に提案します。
彼が口にした「誰も死なないミステリー」という言葉
この言葉は、実は佐藤が志緒と出会う少し前に、ある女性から聞いた言葉です。
彼が家にも居場所がなく、外に出ていたある夜。
フードで顔を隠した女性に声をかけられ、語り合う中で聞いたのが「誰も死なないミステリー」という言葉。
佐藤と出会った当時、志緒は「死線」は絶対の運命だと信じていました。
それでも一緒に試してみよう、と佐藤は語りかけます。
「きっと昔、空を飛ぶなんて馬鹿げたことだってみんなは行ったけど、人間が今、空を飛べるのは、そんな馬鹿げたことを信じた人たちがいたおかげなんだ。
僕は君の言葉を信じるよ。だから、たとえ、誰かに笑われても、僕たちは諦めないで信じ続けよう。
それなら、いつかはきっと空も飛べるはず」
p261、15行目~p262、1行目(記事作成者による改行あり)
こうして、2人の物語が始まります。
「誰も死なないミステリー」という言葉を語った女性は、一週間ほどで佐藤の前から姿を消します。
しかし彼女の語った言葉で、佐藤を通して志緒もまた前を向けるようになります。
自分の心を軽くしてくれた彼女の言葉で、別の誰かの手助けをする。

そんな縁のつなぎ方と、このストーリーの底に敷かれた伏線。
人によってはやりすぎに感じるかもしれません。
でも、私は非常に好みでしたし、丁寧に書かれている、と感じました。
「過去」のつながりが救う「現在」
正直なところ、ミステリに分類するべきなのか、若干迷う作品です。
私の感覚では青春小説としての要素が強いと感じました。
物語の中で謎解きは行われますし、その過程も面白いと思います。
でも、トリックが巧妙とか、秀逸な物理トリックがあるわけではありません。
ですので、ミステリー好きの人には、やや物足りないでしょう。
ただ、本書の魅力はミステリーの謎解きではないとも感じました。
物語は後半に武東という学生の、「死の真相」を探ることにうつります。
過去を解き明かすうちに明らかになる真実は、必ずしも爽快感を得られるものではありません。
ですが、それが現実らしいと私は感じました。
人間の弱さゆえに背負った悲しみを、人の優しさでほぐすような。
それぞれが抱えている悲しみを包み込もうとする、優しい物語だと感じました。
自分が誰かにそっと救われた。だから、自分も誰かの力になりたい。
そんな、小さな繰り返し。
見えないところでつながっていて、そのつながりが巡り巡って命を救う。
自分の力以上に、今までに育んだ縁が力になって、より多くの人に届く。
全員が幸せになれるような、ミステリー以外の魅力を秘めた一冊だと思います。
では、あなたが素敵な本との出会いに恵まれますように。
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